第一歩

息子が今日から一人で、
自宅からスクールバスのポイントまで
行って帰って来られるようになりました。

入学してから、毎日私が送り迎えして、
その際に、気をつけなくてはならないところを
レクチャーし、少しずつポイントの手前から
見守るようにして、一人で行かせるようにしてきました。

そして昨日、一人で行ってみると息子が言うので、
自宅前で見送ったあと、急いで自転車で裏道へ。
私はそのままバスポイントまで、遠くから息子を見守りました。
そんな私の心配をよそに、息子はスイスイと車椅子を漕ぎ、
いつもの時刻にポイントに到着!!
もう大丈夫なんだな、と思いました。

そして今日、完全に一人で登下校しました。

考えてみれば、1歳から療育センターに通い、
幼稚園の送り迎え、小学校の送り迎え、と
12年近く、私は送り迎えしてきました。
それが、今日終わったわけです。

でもなんか、あっけな~い・・・

本来なら、小学校1年生の時点で、
健常児は一人で登下校するわけで、
それより遅れること6年。
確かに長かったし、負担でもあったけど、
終わるのは一瞬なのね。
今日、確実に自立の第一歩を息子は踏み出したんですね。

もう中学生なんだから、
自宅の周りくらい、一人で出掛けられるようにしないとね。

本当にもう中学生なんですよねぇ。
喉仏も出てきて、声変わりの前段階の、声のかすれも出てきて、
鼻の下の産毛が、いつの間にかちょっと濃くなってきて、
ニキビなんかも出来はじめて、
少年から青年に変わりつつある息子。
甘えて来られると、マジで「来るな!!」って気分になる私は、
きっともう、生物学的な育児は終わっているのでしょう。
あとは社会的な育児だけなんですね。

そろそろ私の子育ては、見守ることだけになりそうです。

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中学校入学

桜が満開の中、息子が中学に入学しました。

入学式で思ったことは、
もう息子がただ一人出来なくて、悲しまなくて済むんだな、ということ。
体育で一人見学している息子を見るのはしのびなく、
親としてもつらいことが多かった・・・
でもこの中学にいる間は、そんな思いを息子も私もしなくて済む。
そう思ったら、なんだか安心でした。

私は、息子に無理をさせたと思っていたけど、
私自身も無理をしていたのかもしれないと思いました。
友達の親から、息子さんのせいで勉強が遅れるとか、
車椅子が邪魔だとか言われたらどうしよう、なんて
けっこう身構えて小学校に入学しましたが、
もちろん、そんなことを言う人は誰もおらず、
むしろ、ものすごく暖かく迎えて頂き、楽しく過ごしたのに、
支援学校に入学したことで、こんなに安心するなんて・・・

息子が傷つくようなことは、親である私も傷ついてきたんですね。
これからの3年間、息子はきっと楽しく過ごせると思うと、
自然と笑みがこぼれました。

さて、息子は毎朝、スクールバスに乗って通学ですが、
このスクールバス、乗れるポイントが決まっていて、
生徒に合わせてポイントを変えてくれない・・・
息子が乗るポイントは、車椅子で15分くらいの場所ですが、
時間が早い・・・
学校に近いところから乗せていくので、
7時45分に発車なのでした。
ということは7時半には自宅を出る必要があり、
朝食、訓練、身支度などを考えると、
毎朝の起床は5時です。
今までよりも1時間早く、朝が苦手な私には苦行です(涙)
私が車で送れば、8時過ぎに自宅を出ても間に合うんだけど、
それじゃ自立にならないし。
慣れるまで、親子共々、寝不足の日々と格闘です。

息子の学校に給食があって良かったなあ(笑)

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小学校卒業

平成24年3月、息子が小学校を卒業しました。

入学当初、どこまで健常児と一緒に出来るか未知数で、
もし、あまりにも息子が苦痛を感じるようなら、
支援学校へ転校させようと思っていました。

楽しいだけで過ごせた6年間じゃなかったけど、
やっぱり地域の学校で過ごせたことは、
これからの息子の人生で、自信になるんじゃないかな。
これが息子の学歴になるんだから。

私には二人の兄がいて、一番上の兄が大学を卒業したとき、
私の母が、その卒業証書を見ながら、
「これのために、いくら投資したか・・・」と言っていましたが、
今、その気持ちが良く分かります。
息子の卒業証書を手にしたとき、
「これが欲しかったの!!」と心の底から思いました。

普通小に入れたのは、
地域に友達を作るのが最大の目的だったけど、
友達からしてみれば、1年生のときから足の悪い息子が居て、
最初はどうしたらいいのか分からなかったのが、
息子が居るのが当たり前になって、助けるのが当たり前になって、
6年生になってからは、友達が何気なく、
さりげなく息子を助けてくれて、心から嬉しく思いました。

私が言ったらいけないのかもしれないけど、
息子と過ごした学校の子は、きっと障害者に対して、
なんの壁も持たないだろうな、と思うのです。
車椅子をどう押したらいいのかも分かっているし、
もし将来、肢体不自由の子供を持つことがあっても、
きっと息子を思い出してくれるでしょう。

私たちの世代にとって、
障害児を持つということの何が不安かといえば、
「見たことない」ということに尽きるのではないでしょうか。
私の出た小学校には、ダウン症の子が二人在籍していましたが、
肢体不自由児はいませんでした。
私が初めて車椅子を見たのは中学生のとき。
ガールスカウトのボランティアでのことです。
そして高校のとき、同じクラスに片足が義足の子がいましたが、
今の私が、息子の進路について悩むとき、
高校のときの、その同級生のことを思い出します。
その子が都立高校を卒業したのだから、
私の息子も、入学を認めてもらえない、ということはないはず、と、
自分を奮い立たせることが出来ます。

健常児も障害児も、一緒の教育。
これは、本当に必要なことだと思います。
お互いにね。

4月になって、息子の学籍は小学校から中学校に移りました。
これから私は、区の介助員制度の改善を求め、
教育委員会に要望書を提出します。
幼稚園のときから計8年間、この制度にお世話になった者として、
せめてもの置き土産ですかね(笑)

これから普通小に入るお子さん、
今、普通小に入っていて、困ったことのあるお子さん、
もし何かあれば、いつでも書き込んでください。
私と息子の経験が役に立つなら嬉しいです。

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一応解決・・・?

介助員Aさんについて、その後のことを書きます。

昨年11月終わりから、毎週月水金は私が介助に行ってました。
しかし息子は、給食の時間にAさんが来ることさえ嫌がり、
食後の後片付けの介助もあるし、給食が終わるまで
私が廊下で待機するようにしていました。

学校や教育委員会には、せめてその介助員に
給食を職員室で食べてもらえないかと交渉してきましたが、
どちらも、それは出来ませんと断られていました。
知り合いの区議さんからも教育委員会に交渉してもらってましたが、
それも効果がありませんでした。

そして先週の水曜日、事件が起こりました。

息子が食べ終わった食器を片付けているとき、
お皿がガチャンと音を立てました。
もともと学校の食器は割れにくいコレールで、
その程度の衝撃では割れません。
学校も生徒が乱暴に扱うことを見越して、
コレールにしているはずですよね。
食器の後片付けは、息子一人では運べないので、
手伝うために私は教室に入って見ていましたが、
割れるほどの衝撃ではありませんでした。

しかし、その介助員Aさんは、
「そんな風に扱ったら割れるでしょ!!」と
物凄い勢いで息子を怒りはじめました。

息子はもうその介助員Aさんの声を聞くことさえ嫌がってますから、
そのまま無視して廊下に出てしまいました。

その態度に逆上した介助員Aさんは
「なによその態度!!失礼でしょ!!」
と、廊下まで息子を追いかけて出て、
再び恐ろしい形相で、まくしたてました。

私は廊下にいる息子に、「教室に戻りなさい」と指示し、
息子が教室に入ったのを見届けてから
その介助員Aさんに言いました。

どうして怒鳴るんですか。
普通に注意すればいいじゃないですか、と。
するとその介助員Aさんは、
「お母さんが甘いから、あんな態度になるんですよ!!」と
今度は私に対して怒鳴ってきたので、
そのまま廊下で口論になりました。

そんなに息子が気に入らないのであれば、
職員室で食べればいいじゃないですか。
もうあなたは息子の介助を全くしていないのだし、
この教室に来る必要はないでしょう!
あなたが教室に来るのが嫌で、学校に行きたくないと
言っているから、私がこうして給食の時間に
廊下に待機してるんですよ!!
あなたは前から私にも息子にも
自分が原因で学校に来れなくなったら、
介助員を代えてもらっていい、って
言ってたじゃないですか!!
もうそうなったのだから、辞めてくれて結構です!!

そしたらその介助員Aさんは
「私は悪いことをしてませんから辞めません!!」
と言ってきましたので、本当に呆れてしまいました。

そのとき教室に入ったはずの息子が私の後ろで、
突然、また爆発したように泣き出しました。
どこまで話を聞いていたのか分かりませんが、
あまりにも激しい泣きかただったので、
私は息子をなだめました。

もう大騒ぎ。
クラスの友達も、隣のクラスの生徒も、
担任も隣のクラスの担任も廊下に出ていて、
ものすごい事態にまで発展してしまいました。
一部始終を見ていた担任も、息子をなだめてくれて、
ふと気がつくと、その元凶の介助員はいなくなってました。

息子は5時間目が始まっても泣き止まず、
5時間目は体育だったので、生徒はみんないなくなり、
なのに授業が始まっても担任は、息子のそばにいて下さいました。

しばらくして、やっと息子が落ち着いたあと、
廊下に息子を残し、教室で担任と話をしました。
担任いわく、「あんなにシャッターを下ろしたような拒絶だとは
思ってもいませんでした」
「授業が始まってしまったのに、申し訳ありません。
せめてあの人が教室に来なければ息子は大丈夫なんですが」
「校長と話してみます」
そう担任は言ってくださいました。

結局、息子はそのまま早退。
翌日の木曜日は別の介助員の日なので問題ないと
思っていましたが、朝から腹痛を訴えました。

息子は本当に具合の悪いときには、食欲が
目に見えて落ちるので分かるのですが、
その日はきちんと朝食を食べたのです。
だからこれは精神的なものなのだと判断しました。
問題の介助員が学校に来ない日なのに嫌がるなんて・・・
少なからずショックを受けました。
それでも何とか学校へ行くことが出来ました。

しかし翌金曜日。息子は学校に行けませんでした。

前日よりも激しい腹痛でした。
そこまで追い詰められた息子が可哀想で、
「もう木曜日以外は学校へ行かなくていい」と言いました。
学校への連絡帳にも、そう書きました。
あの介助員が教室に来るならば、もう学校には行かせません、と。

学校に行かなくていいと言われた息子は、ホッとしていました。
しかし、委員会の自分の仕事を気にして、
図書室の本を返さなくちゃいけないし・・・と
学校に行きたそうにしていました。
行きたい時間だけピンポイントに行ってもいいよ、と言いましたが、
やっぱり無理なようで・・・

11月終わりに私が校長に談判をした際に、
「そんなに腹痛がするならカウンセリングでも受けたらどうですか」と
あまりにも息子を無視した酷いことを言われたのですが、
逆にそれを逆手に取ってやろうと思い、
カウンセリングの予約を取りました。
その診断結果を学校と教育委員会に、抗議文と共に
提出しようと思ったのです。
その準備のために、障害者を支援する市民団体にも
連絡を取りました。
私の希望は、介助員の退職ではなく、
息子のそばに来させないこと。
その分の介助は私がしているので問題はないはず。
それすらもしないのは、息子の学ぶ権利の侵害である、と。

そして今日、月曜日も息子は休んでいます。
そこへ担任から電話がありました。
「介助員Aさんは、これから職員室で給食になったから、
学校へおいで」と。
息子は心底ホッとした顔で、「明日から行きます!」と
元気に返事をしました。

担任が校長にかけあって下さったそうです。
本当に涙が出るほど嬉しかったです。
息子はそれでもあの人が学校にいるのが嫌だと言っていますが、
みんなが出来る範囲の努力をしてくれたんだよ、
もう教室にあの人は来ないから、もう大丈夫だよ、
今まで通り、月水金に私が学校に行くし、
あとは卒業までの1ヵ月半、楽しく過ごそうよ、と説得しました。

これで、一応解決・・・ですかね。

この一件で、校長も教育委員会も、生徒の味方じゃないということを
思い知りました。
中学からは区の教育委員会とサヨナラ出来ると思うと、
心の底から嬉しいです。

介助員制度は誰のためにあるんでしょう。
介助員と言えども人ですから、どうしてもその相性があります。
こんなことになる前に、申し立て出来る制度を設けないと、
またこういう思いをする子供が出てしまいます。
あとに続く子供のために、これから区議に
制度の改正を求めていくつもりです。

応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。

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今年もよろしく

皆様、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、年末、息子は希望の中学を受験しました。
結果から書くと、合格しました!

試験は2日間あり、学力のほかに
親子面接、心理、小児科診察、整形診察、動作検査など
およそ普通校では考えられない感じ。
願書を出すときにも、医師の「肢体不自由である」旨の
診断書も必要だったし。

願書提出で、写真を貼った受験票を受け取った際、
直感で「あ、受かるな」と思ったのだけど、
それを息子に言うと安心しきって努力しなくなるから、
それは黙って、受験前夜まで、しっかり勉強させました。
私の直感は、外れたことがありません。
けど今回みたいに、神の啓示か?って場合のみ(笑)

とにかく4月からの進路が無事に決まってホッとしました。
あとは卒業までの3ヶ月、乗り切れればいいわけで。

介助員のことは、いろいろ多方面に渡り
人の力を借りてみましたが、成果はなく、
担任とも話し合い、私の体調が悪いときなどは、
息子一人で過ごさせることに。
その際でも、絶対に問題の介助員に介助はさせない、
という確約を取りました。
そして単独の場合は、担任自ら手助けします、と言って頂きました。
もうすぐ1月も中旬。
小学校は実質2ヶ月ちょっとです。
なんとか乗り切って欲しいものです。

今日は1月8日。冬休みは明日まで。
息子は12月28日に合格発表があって以来、
冬休みの宿題はおろか、毎日やらなければならない
進研ゼミすらやっておらず、
今日は朝からずっと勉強しております。
夏休みの宿題を溜め込んで、懲りたんじゃないのかお前、
そんなんで中学は大丈夫なのか??
というスタートです(笑)

今年も一年、どうぞお付き合い下さいね。

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脳性まひ治療

今日の朝日新聞朝刊に、脳性マヒの治療についての
記事が載っていました。
(平成23年11月30日)

高知大が、脳性マヒになった子供に、
自分のさい帯血の一部を点滴注射し、
機能回復を目指す臨床研究を始める、という内容。

この治療法は、2005年からアメリカで行われ、
症状が大幅に改善した例もあるそうです。

高知大では、母体内で脳の障害が確認され、
妊娠33週未満で早産の可能性がある子供に適用だそう。
自分のさい帯血だから拒絶反応もなく、
さい帯血に含まれる神経の基となる幹細胞が、
損傷した脳血管や神経を新たに作る・・・らしい。

これは、これから早産で産まれる赤ちゃんには
とてもいいですよね。
脳性マヒになったかどうかなんて、少し育たないと分からないし、
それまで凍結保存が出来たらいいんですもんね。

さい帯血は、へその緒や胎盤に含まれている血液のことで、
もちろん息子のものなんて、すでに無いしな~。
白血病治療と同じで、HLAさえ合致すれば、
息子にも期待できたりするのかなあ。

医療は日進月歩。
PVLを研究して下さっている方々もいらっしゃることだし、
いつか赤ちゃん以外の脳性マヒの人たちにも
応用できる日が来るといいですね。

ネット上の記事
http://www.asahi.com/health/news/OSK201111250179.html
(いつまで閲覧できるのか分からないけど、参考まで)

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爆発・その後

息子はその後、とりあえず学校には通っています。
しかし、その介助員Aさんが担当の日の前の晩から、
かなりの腹痛を訴えるようになりました。

もう限界を超えているのかもしれない、と思っていたところ、
クラスのお友達から、
息子が今も、その介助員Aさんに怒られていると聞きました。

私が校長に談判した日、校長は確かに介助員Aさんに
指導方法を変えるように話してくださいました。
けれどその話があった日、息子はまた怒られたそうです。

給食後、トレーを介助員Aさんが下げてくれたのに、
息子がお礼を言わなかったとかで、
もちろんそれは息子が悪いですが、
そのとき、腹いせのように、息子に嫌みを言ったようなのです。

息子はその事を、私には言いませんでした。
友達に聞いたけど?と話を聞いてみると、
「また泣いて、お母さんに何とかしてもらうつもり?」
と言われたと言いました。

それを聞いたとき、もう安心して預けられないと思いました。
息子には何度も、大げさに言ってないよね?と確認し、
今日、校長先生に、その介助員を外して欲しいと言ってきました。

学校側としては、一度きちんと介助員Aさんから話を聞いて、
その上で役所と相談してから返事をするとのこと。
しかし、息子がその介助員さんの日には、
腹痛を訴えることを話し、
その人は、もし自分が原因で学校に来れなくなったときには、
介助員を別の人に代えてもらっていい、
と私に何度も言っていましたので、
もう登校拒否一歩手前ですから、そうさせてもらいます、
新しい方が来てくれるまでは、私が介助に入ります、と
キッパリ宣言して来ました。

息子が悪いことをしたときに叱るのは当然のことですが、
その方法については、ずっと疑問でした。
私は何度も目撃していますが、
ヒステリーなの?ってくらいに激しく叱責するわけです。
あれは大人の私でさえ萎縮する、って思うほど。
息子は長い間、よく我慢したと思います。
私が息子だったなら、もうとっくに登校拒否してます。

息子を思うあまりに、って言うのは理解するけれど、
もう親として、苦しむ息子を見るのは耐えられない。
息子はもう、その介助員Aさんに心を閉ざし、
ありがとうも素直に言えなくなっているし、
介助員Aさんのほうも、
息子に笑いかけることが出来なくなってる。
もう、行き着くところまで来てしまっていると感じています。

もっと早く、こうしてあげれば良かった・・・
私は子供が一人しかいないし、歩けないことも手伝って、
甘やかしているところもあると思います。
だけど、ストレスにさらされ続けて、
悲鳴を上げている息子を助けないわけにはいきません。

全力で、我が子を守って、何が悪い!!
最初に校長に談判したのだって、息子の希望ではなかった。
あれは私が保健室の先生に助言されて行ったこと。
それなのに、息子に八つ当たりのようなことを言うなんて
許せない。
今まで息子に、Aさんは心配して、あえて厳しくしてるんだよ、と
諭してきた自分が情けない。

臨戦態勢で、明日から学校へ介助に行ってきます。

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息子爆発

今週の水曜日、息子を学校に連れて行くと、
突然、介助員さんから、金切り声で怒られた息子。

息子の介助員さんは、曜日によって人が代わり、
計2人がいます。
そのうちメインについている人は、4年生からの人で、
実は息子、この介助員Aさんとの相性が悪い。
突然叱ったのは、この人のほう。

叱られた内容は、もう一人の介助員Bさんに
息子が小さな嘘をついたというもの。
介助員Aさんが担当の日、
息子が下駄箱に行くと、Aさんの姿が見えなかった、
仕方なく息子は自分で靴を履き替えた、というもの。
それを介助員Bさんの日に、Aさんが朝いなかったと語ったと。

私は最近、校門までしか息子を送っておらず、
息子が介助員Aさんがいなかったと語る日は、
校内に入ってからのことを見ていないのですが、
介助員Aさんは、少し遅れたけど、ちゃんと居た、と。
この怒られた日は、私は担任の先生に
受験用の成績証明書をもらう用事があり、
たまたま息子のそばにいたわけです。

「そんな嘘をつかれて、すごく迷惑なんですけど!!」
と金切り声でいきなり怒られた息子は
「嘘じゃないです!!先生いなかったじゃないですか!!」
と反論。
息子は最近時々、本当にすぐバレるような小さな嘘をつくことがあり、
(例えば、宿題があるのにないと言ったり)
私としても、思い当たるフシがあるので黙って見ていました。
「どうしてそんな嘘ばかりつくの!!」
「嘘なんて言ってない!!先生は本当に靴を履くとき居なかった!!」
というような押し問答の末、
息子が突然、爆発したように泣き出してしまった。

息子は移動に時間がかかるので、他の生徒よりも早く
学校内に入っているのですが、
そろそろ他の子達が来る頃なので、そのまま保健室に直行。

息子は、もう何年も見ていないくらいの激しい泣き方で、
「誰も分かってくれない」とワァワァ泣きました。

この介助員Aさんは、本当に厳しい人で、
息子は以前から嫌だと言っていました。
実際、私が学校に居るときに、金切り声で怒られているのを
何度も見ています。
それはどれも、私も叱るような内容なので、
叱り方はともかく、黙って見ているようにしていました。

けれど、息子は我慢の限界だったのでしょう。
もう何も聞こえないくらいの泣き方で、
「僕だって、一生懸命頑張っているのに」
「もうこれ以上は無理」
そんなことを言って泣き続けました。
しゃくり上げて、そんなことを言う息子を見ていたら、
私まで泣けてきました。

息子を普通小学校に入れたのは私。
頑張れと言い続けたのも私。
何より、息子を障害児としてしか産めなかったのは私。
健常だったなら、息子には介助員さんは必要なく、
みんなとサッカーしたりして遊ぶ、活発な男の子だったでしょう。
それなのに、こんな思いをさせたのは、全部私のせい。
息子に申し訳なくて、息子をなだめながら、
私も流れる涙を止めることが出来ませんでした。

そんな私たちを見ていた保健室の先生が、
上手に息子をなだめてくれて、
少し息子が落ち着いたときに、
お母さん、保健室の外で話しましょう、と言われ、
私は息子と介助員Aさんを保健室に残して出ました。

「息子さんは、今までの我慢が限界になったんでしょうね。
けれど、少し落ち着いたようだし、
今日はこのまま私に預からせてください。
お母さんがいると、甘えも出てしまうと思いますので」
と言われたので、そのままお願いすることにしました。
息子はそのあと、しばらく保健室にいて、
その後、教室に上がって、普段通りに過ごしたようです。

その夜、私は息子と、とことん話し合いました。
障害があっても、とてもよく頑張っているのは知っている、
そして障害を持って産まれてきたのは、私に持病があって、
予定日までお腹に入れておくことが出来なかったからであり、
それについて、私はずっと申し訳ないと思い続けていること、
そして、介助員さんがいないと学校生活が出来ないのも、
クラスの子が楽しそうに校庭でボール遊びをしているのを
さびしそうに見ているだけしか出来ないことも、
障害のせいで、諦めなくてはならないことが多いことも、
そういうこと全て、申し訳ないと思い続けていたこと・・・
これは、大人になるまで話さないようにしようと思っていたのですが、
いつか息子に言っておきたいと思っていたことでした。

「いっちゃんのせいじゃないよ」
息子はそう言ってくれました。

介助員Aさんが、本当に厳しいのは確かで、
時々、息子のお迎えをお願いしているヘルパーさんから
「あの介助員さんは厳しすぎると思います」と
メールを頂いたこともありました。
私自身、悪いのは息子だけど、もう少し言い方を変えて欲しいな、
とは思ってきました。
しかし、学校にいる間は、なるべく学校の方針に従おう、と
ぐっとこらえていました。
息子も、自分が悪かったのは承知しているので、
今日もこういうことで怒られた、と私に言う以外、
特に何も言うことはなかったのです。

それが、突然限界を超えて爆発した、ということでした。

翌日から、息子は登校を嫌がるようになりました。
介助員がいないと困るのに、その介助員が嫌で
登校できないなんて、本末転倒もいいところ。
だから、我慢しなくていいから、嫌だったら保健室に行きなさい、
保健室の先生には、ちゃんと頼んでおくから、と
息子を学校に送り出し、
保健室の先生に、またお世話になると思いますが、
よろしくお願いします、と話しました。
すると先生が、
「あの介助員Aさんは、私から見ても厳しすぎると思うので、
管理職に、指導方法を変えるように言ってもらうよう
話してみてください」
と助言され、そのまま校長に談判に行きました。
そして介助員Aさんは、校長から注意を受け、
その日以来、少し息子に優しいそうです。

介助員Aさんは、息子を我が子のように感じていて、
クラスの子よりも出来ないことを、何とかして出来るように
熱心に指導しているあまり、
キツイ言葉になっていたのだと思います。

そして、息子が介助員Aさんが居なかったというのは、
ちゃんとした事実で、車椅子に座っている息子の位置からは見えず、
介助員Aさんは、柱の影にいたので、息子が見えなかった、
ということでした。


卒業まであと4ヶ月。
何とか乗り切って欲しいです。

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学芸会で

先日、息子の学芸会がありました。

今時の小学校は、劇団四季のミュージカルを
演目として選んだりします。
息子の学年は、「夢から醒めた夢」を演じました。
私の時代は、学校用に書かれた脚本集ってものがあって、
その中から先生が選ぶって感じだったけどねぇ。

息子の小学校生活最後の学芸会、
なにしろミュージカルなもんで、歌うは踊るわ、
小学生、やるじゃん!!って出来でした。
もちろん息子は踊れるはずもなく、
踊りも独唱もない役を選んでいたけどね。

まぁ、当然主役は一人なんだけど、そこは学校。
主役の女の子が6人もいて、交代して出てくる。
衣装は基本的に個人で揃えることになっているので、
この役の人はピンクのスカート、とか指定があり、
それを各自で用意することになっているから、
みんな微妙に衣装が違うわけです。

息子の役に必要な衣装は
白いハイネックのシャツ、黒いロングコートと手袋と靴。
突然言われても、そんな子供のロングコートなんて無いよ!!
・・・と思ったんだけど、
ふと、私が持っていた黒いコートを思い出して着せてみると、
着れてしまった。
いつの間にか洋服の貸し借りが出来るまでに
成長してました。

しかもその黒いロングコート、
実は私の母が、50年以上前に着ていたもので、
独身時代の私が貰って着ていたもの。
親子3世代に渡って着られるって、すごいよね。

母の独身時代は、まだ既製服が一般じゃない時代。
だから生地を買って、それを仕立ててもらっていたんだけど、
生地の傷みもなく、ほつれもなく、
まだまだ超現役で、私も数年前まで着ていたの。
今回、マジマジとコートを見てみたけど、
縫い目が丁寧で、すごく良い品だって改めて思った。
これを縫って下さった方は、もうご存命じゃないだろうけど、
すごいよな、って本当に思いました。
朝の連続ドラマのカーネーションみたい~。

ちなみに白いハイネックシャツも私のもの、
黒い靴も私の黒いスニーカーでした。
ま、まだちょっと大きかったけど、
こんなことで成長を感じるようになるなんて思いもせず。
それは私の息子だけに限らず、
1年生のときにはビービーよく泣いていた子が、
堂々とソロを歌ったり、
みんなの成長を感心するやらビックリするやら、
という学芸会でした。

この学芸会をもって、6年生の行事は終了。
あとは卒業式のみとなりました。
そしてみんな、受験に突入~!!
息子の受験も、あと2ヶ月を切りました。
なんだか気ぜわしいです。
受験生の母って、こんな気分なのね(汗)

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12歳

今日は息子の12回目の誕生日。
もう12歳かぁ、と、一人シミジミとしております。

10歳の誕生日のときに、
子育てが半分終わったんだなぁ、と思ったけれど、
こうやって毎年毎年、終わりが近づくのが、
嬉しいような寂しいような・・・
いろいろ考えてしまいます。

12年前の9月、
突然の前期破水で絶対安静の入院生活。
1分でも1秒でも長くお腹に入れておきたかったのに、
羊水に血が混じってしまい、お産という流れに。
陣痛もさほどなく、余裕で過ごしていたら、
突然、子宮口に何かがコツンと当たり、その途端に、
いきなり頭が下りてきてしまい、私はパニックに。
急いでナースコールをして、すぐ分娩室に運ばれて、
分娩台に乗る頃には、頭が出てしまっていて・・・
そして台に乗せられてすぐ、息子は生まれてきた。

生まれてから、しばらく誰も何も言わなかった。
羊水を吸引する音だけが、分娩室に響いてた。
そのとき、か弱いながら、息子は1回だけ泣いた。
それが、すごくすごく嬉しかった。

NICUに運ばれる前に、小児科の先生が
タオルに包まれた息子の顔を見せてくれた。
息子は左目だけを開けて、私の顔を見てくれた。
そしてそのまま保育器へ入れられて、分娩室を出て行った。

私はそのあと胎盤が出なくて、
助産師さんが、手で胎盤を剥がすという
強烈な痛みを経験し、
(正直言って、お産より痛い)
産後2時間、分娩台で寝たあと、
看護師さんが体を拭いて下さっているときに、
大量出血。

おへその下に子宮の出血を止めるツボがあるらしく、
そこを1ヶ月以上寝たきりで、腹筋がなくなったお腹を
渾身の力で押されると、それが痛くて痛くて(涙)
それが何時間も何時間も続き、
出血多量で意識を失いかけると往復ビンタが飛んできて(マジ)
また痛い思いをするの繰り返し。
あまりの痛さに「麻酔して」と頼んでみたけれど、
「意識レベルが分からなくなるから」と却下され・・・

そして時間の経過と共に、分娩室に人が増えてきて、
私は気を失いつつも、なぜだか耳だけは聞こえていて、
私の隣で血圧を測っていた看護師さんが
「先生!!上60です!!」と叫ぶ声を聞き、
それってヤバくない?って思ったっけ。

「お腹の上から、子宮に向けて注射をします」とか
「もう両腕から血管取れないから、足から取ろう」とか
そんな言葉が聞こえるたびに、「やめて~」と言ったような
気がするけど、もう話は出来てなかったかもしれない。

何時間が経過したのか分からないけど、
ふっと目を覚ましたら、目の前に病院で一番偉い先生が見えて、
思わず先生の手をつかんで
「麻酔してください」とお願いしたら、
「そうだね、麻酔しよう」と言ってもらえて、
そのまま意識が完全になくなった。

そして何時間経ったのか分からないけど
「お部屋に帰ろうね」という声で目を覚まし、
看護師さんの隣にいる夫の顔を見たら、顔面蒼白で、
開口一番「死んじゃうかと思ったよ」と言われ、
時間を聞くと、お産から13時間が経過していてビックリ。
そして自分の両手を見ると、見たこと無いくらい
指が強烈にむくんでる。
お産の直前に、夫に結婚指輪を預けていたんだけど、
その指輪が小指の第一関節までしか入らないくらいになってた。
聞けば、輸液量が多すぎて、体中がむくんでいるとのこと。
よく見ると、私のベッドのまわりには輸液ポンプが5個あって、
点滴バッグが8個ぶらさがってた。
そのうちひとつが真っ赤で、輸血されたことを知った。

成人女性の全血液量は6~7リットルで、
1.5リットル出血すると、ショック死してもおかしくないらしい。
そして私はお産からトータルで3.7リットル出血していた。
道理で旦那だけでなく、お産に立ち会ってくれた助産師さんが、
「死んじゃうかと思ったぁ~」と枕元で泣いてくれたわけだ。
翌日、お産のときの先生に
「私は長く産婦人科医をしてますが、こんなに出血したのは
初めてでした」と言われたり。
もともと私はお産がハイリスクだったのだけど、
まさか命がけになるとは思わず・・・

私の体は、生命を維持するのが精一杯で、
産後5日経つまで、まったく胸が張らなかった。
その間、息子は2日前に生まれた子のお母さんから
母乳を分けて頂いていたらしい。
これは、仕方のないこととはいえ、ちょっとショックだったな。

産後5日目の夜、初めて息子に会った。
生まれたときよりも、ひと回り小さくなっていて、
しかも光線療法で、体が黒くなっていて、
糸みたいに細い点滴をされて、それを板で固定され、
その姿が痛々しくて、泣き崩れたっけ。
私は頑張ったけど、もっともっと頑張れたかもしれない。
そうしたら、こんな姿にさせることは無かったかもしれない。
申し訳なくて、申し訳なくて・・・

あれから12年。
息子は、その日々が夢だったかのように大きくなった。
年月って、あっという間。
あと8年で成年しちゃうなんて!

息子は最近、少し声が低くなった。
ニキビが出来てきた。
着々と、大人になってるんだなぁ。

来年の誕生日は、もしかしたら反抗期かな。
手作りケーキなんて作れるのは、今年が最後だったのかも。
いつまで手をつないでくれるのかな。
いつまで抱っこさせてくれるのかな。

そんなことを思いながら過ごした誕生日でした。

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