今年もよろしく

皆様、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、年末、息子は希望の中学を受験しました。
結果から書くと、合格しました!

試験は2日間あり、学力のほかに
親子面接、心理、小児科診察、整形診察、動作検査など
およそ普通校では考えられない感じ。
願書を出すときにも、医師の「肢体不自由である」旨の
診断書も必要だったし。

願書提出で、写真を貼った受験票を受け取った際、
直感で「あ、受かるな」と思ったのだけど、
それを息子に言うと安心しきって努力しなくなるから、
それは黙って、受験前夜まで、しっかり勉強させました。
私の直感は、外れたことがありません。
けど今回みたいに、神の啓示か?って場合のみ(笑)

とにかく4月からの進路が無事に決まってホッとしました。
あとは卒業までの3ヶ月、乗り切れればいいわけで。

介助員のことは、いろいろ多方面に渡り
人の力を借りてみましたが、成果はなく、
担任とも話し合い、私の体調が悪いときなどは、
息子一人で過ごさせることに。
その際でも、絶対に問題の介助員に介助はさせない、
という確約を取りました。
そして単独の場合は、担任自ら手助けします、と言って頂きました。
もうすぐ1月も中旬。
小学校は実質2ヶ月ちょっとです。
なんとか乗り切って欲しいものです。

今日は1月8日。冬休みは明日まで。
息子は12月28日に合格発表があって以来、
冬休みの宿題はおろか、毎日やらなければならない
進研ゼミすらやっておらず、
今日は朝からずっと勉強しております。
夏休みの宿題を溜め込んで、懲りたんじゃないのかお前、
そんなんで中学は大丈夫なのか??
というスタートです(笑)

今年も一年、どうぞお付き合い下さいね。

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脳性まひ治療

今日の朝日新聞朝刊に、脳性マヒの治療についての
記事が載っていました。
(平成23年11月30日)

高知大が、脳性マヒになった子供に、
自分のさい帯血の一部を点滴注射し、
機能回復を目指す臨床研究を始める、という内容。

この治療法は、2005年からアメリカで行われ、
症状が大幅に改善した例もあるそうです。

高知大では、母体内で脳の障害が確認され、
妊娠33週未満で早産の可能性がある子供に適用だそう。
自分のさい帯血だから拒絶反応もなく、
さい帯血に含まれる神経の基となる幹細胞が、
損傷した脳血管や神経を新たに作る・・・らしい。

これは、これから早産で産まれる赤ちゃんには
とてもいいですよね。
脳性マヒになったかどうかなんて、少し育たないと分からないし、
それまで凍結保存が出来たらいいんですもんね。

さい帯血は、へその緒や胎盤に含まれている血液のことで、
もちろん息子のものなんて、すでに無いしな~。
白血病治療と同じで、HLAさえ合致すれば、
息子にも期待できたりするのかなあ。

医療は日進月歩。
PVLを研究して下さっている方々もいらっしゃることだし、
いつか赤ちゃん以外の脳性マヒの人たちにも
応用できる日が来るといいですね。

ネット上の記事
http://www.asahi.com/health/news/OSK201111250179.html
(いつまで閲覧できるのか分からないけど、参考まで)

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爆発・その後

息子はその後、とりあえず学校には通っています。
しかし、その介助員Aさんが担当の日の前の晩から、
かなりの腹痛を訴えるようになりました。

もう限界を超えているのかもしれない、と思っていたところ、
クラスのお友達から、
息子が今も、その介助員Aさんに怒られていると聞きました。

私が校長に談判した日、校長は確かに介助員Aさんに
指導方法を変えるように話してくださいました。
けれどその話があった日、息子はまた怒られたそうです。

給食後、トレーを介助員Aさんが下げてくれたのに、
息子がお礼を言わなかったとかで、
もちろんそれは息子が悪いですが、
そのとき、腹いせのように、息子に嫌みを言ったようなのです。

息子はその事を、私には言いませんでした。
友達に聞いたけど?と話を聞いてみると、
「また泣いて、お母さんに何とかしてもらうつもり?」
と言われたと言いました。

それを聞いたとき、もう安心して預けられないと思いました。
息子には何度も、大げさに言ってないよね?と確認し、
今日、校長先生に、その介助員を外して欲しいと言ってきました。

学校側としては、一度きちんと介助員Aさんから話を聞いて、
その上で役所と相談してから返事をするとのこと。
しかし、息子がその介助員さんの日には、
腹痛を訴えることを話し、
その人は、もし自分が原因で学校に来れなくなったときには、
介助員を別の人に代えてもらっていい、
と私に何度も言っていましたので、
もう登校拒否一歩手前ですから、そうさせてもらいます、
新しい方が来てくれるまでは、私が介助に入ります、と
キッパリ宣言して来ました。

息子が悪いことをしたときに叱るのは当然のことですが、
その方法については、ずっと疑問でした。
私は何度も目撃していますが、
ヒステリーなの?ってくらいに激しく叱責するわけです。
あれは大人の私でさえ萎縮する、って思うほど。
息子は長い間、よく我慢したと思います。
私が息子だったなら、もうとっくに登校拒否してます。

息子を思うあまりに、って言うのは理解するけれど、
もう親として、苦しむ息子を見るのは耐えられない。
息子はもう、その介助員Aさんに心を閉ざし、
ありがとうも素直に言えなくなっているし、
介助員Aさんのほうも、
息子に笑いかけることが出来なくなってる。
もう、行き着くところまで来てしまっていると感じています。

もっと早く、こうしてあげれば良かった・・・
私は子供が一人しかいないし、歩けないことも手伝って、
甘やかしているところもあると思います。
だけど、ストレスにさらされ続けて、
悲鳴を上げている息子を助けないわけにはいきません。

全力で、我が子を守って、何が悪い!!
最初に校長に談判したのだって、息子の希望ではなかった。
あれは私が保健室の先生に助言されて行ったこと。
それなのに、息子に八つ当たりのようなことを言うなんて
許せない。
今まで息子に、Aさんは心配して、あえて厳しくしてるんだよ、と
諭してきた自分が情けない。

臨戦態勢で、明日から学校へ介助に行ってきます。

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息子爆発

今週の水曜日、息子を学校に連れて行くと、
突然、介助員さんから、金切り声で怒られた息子。

息子の介助員さんは、曜日によって人が代わり、
計2人がいます。
そのうちメインについている人は、4年生からの人で、
実は息子、この介助員Aさんとの相性が悪い。
突然叱ったのは、この人のほう。

叱られた内容は、もう一人の介助員Bさんに
息子が小さな嘘をついたというもの。
介助員Aさんが担当の日、
息子が下駄箱に行くと、Aさんの姿が見えなかった、
仕方なく息子は自分で靴を履き替えた、というもの。
それを介助員Bさんの日に、Aさんが朝いなかったと語ったと。

私は最近、校門までしか息子を送っておらず、
息子が介助員Aさんがいなかったと語る日は、
校内に入ってからのことを見ていないのですが、
介助員Aさんは、少し遅れたけど、ちゃんと居た、と。
この怒られた日は、私は担任の先生に
受験用の成績証明書をもらう用事があり、
たまたま息子のそばにいたわけです。

「そんな嘘をつかれて、すごく迷惑なんですけど!!」
と金切り声でいきなり怒られた息子は
「嘘じゃないです!!先生いなかったじゃないですか!!」
と反論。
息子は最近時々、本当にすぐバレるような小さな嘘をつくことがあり、
(例えば、宿題があるのにないと言ったり)
私としても、思い当たるフシがあるので黙って見ていました。
「どうしてそんな嘘ばかりつくの!!」
「嘘なんて言ってない!!先生は本当に靴を履くとき居なかった!!」
というような押し問答の末、
息子が突然、爆発したように泣き出してしまった。

息子は移動に時間がかかるので、他の生徒よりも早く
学校内に入っているのですが、
そろそろ他の子達が来る頃なので、そのまま保健室に直行。

息子は、もう何年も見ていないくらいの激しい泣き方で、
「誰も分かってくれない」とワァワァ泣きました。

この介助員Aさんは、本当に厳しい人で、
息子は以前から嫌だと言っていました。
実際、私が学校に居るときに、金切り声で怒られているのを
何度も見ています。
それはどれも、私も叱るような内容なので、
叱り方はともかく、黙って見ているようにしていました。

けれど、息子は我慢の限界だったのでしょう。
もう何も聞こえないくらいの泣き方で、
「僕だって、一生懸命頑張っているのに」
「もうこれ以上は無理」
そんなことを言って泣き続けました。
しゃくり上げて、そんなことを言う息子を見ていたら、
私まで泣けてきました。

息子を普通小学校に入れたのは私。
頑張れと言い続けたのも私。
何より、息子を障害児としてしか産めなかったのは私。
健常だったなら、息子には介助員さんは必要なく、
みんなとサッカーしたりして遊ぶ、活発な男の子だったでしょう。
それなのに、こんな思いをさせたのは、全部私のせい。
息子に申し訳なくて、息子をなだめながら、
私も流れる涙を止めることが出来ませんでした。

そんな私たちを見ていた保健室の先生が、
上手に息子をなだめてくれて、
少し息子が落ち着いたときに、
お母さん、保健室の外で話しましょう、と言われ、
私は息子と介助員Aさんを保健室に残して出ました。

「息子さんは、今までの我慢が限界になったんでしょうね。
けれど、少し落ち着いたようだし、
今日はこのまま私に預からせてください。
お母さんがいると、甘えも出てしまうと思いますので」
と言われたので、そのままお願いすることにしました。
息子はそのあと、しばらく保健室にいて、
その後、教室に上がって、普段通りに過ごしたようです。

その夜、私は息子と、とことん話し合いました。
障害があっても、とてもよく頑張っているのは知っている、
そして障害を持って産まれてきたのは、私に持病があって、
予定日までお腹に入れておくことが出来なかったからであり、
それについて、私はずっと申し訳ないと思い続けていること、
そして、介助員さんがいないと学校生活が出来ないのも、
クラスの子が楽しそうに校庭でボール遊びをしているのを
さびしそうに見ているだけしか出来ないことも、
障害のせいで、諦めなくてはならないことが多いことも、
そういうこと全て、申し訳ないと思い続けていたこと・・・
これは、大人になるまで話さないようにしようと思っていたのですが、
いつか息子に言っておきたいと思っていたことでした。

「いっちゃんのせいじゃないよ」
息子はそう言ってくれました。

介助員Aさんが、本当に厳しいのは確かで、
時々、息子のお迎えをお願いしているヘルパーさんから
「あの介助員さんは厳しすぎると思います」と
メールを頂いたこともありました。
私自身、悪いのは息子だけど、もう少し言い方を変えて欲しいな、
とは思ってきました。
しかし、学校にいる間は、なるべく学校の方針に従おう、と
ぐっとこらえていました。
息子も、自分が悪かったのは承知しているので、
今日もこういうことで怒られた、と私に言う以外、
特に何も言うことはなかったのです。

それが、突然限界を超えて爆発した、ということでした。

翌日から、息子は登校を嫌がるようになりました。
介助員がいないと困るのに、その介助員が嫌で
登校できないなんて、本末転倒もいいところ。
だから、我慢しなくていいから、嫌だったら保健室に行きなさい、
保健室の先生には、ちゃんと頼んでおくから、と
息子を学校に送り出し、
保健室の先生に、またお世話になると思いますが、
よろしくお願いします、と話しました。
すると先生が、
「あの介助員Aさんは、私から見ても厳しすぎると思うので、
管理職に、指導方法を変えるように言ってもらうよう
話してみてください」
と助言され、そのまま校長に談判に行きました。
そして介助員Aさんは、校長から注意を受け、
その日以来、少し息子に優しいそうです。

介助員Aさんは、息子を我が子のように感じていて、
クラスの子よりも出来ないことを、何とかして出来るように
熱心に指導しているあまり、
キツイ言葉になっていたのだと思います。

そして、息子が介助員Aさんが居なかったというのは、
ちゃんとした事実で、車椅子に座っている息子の位置からは見えず、
介助員Aさんは、柱の影にいたので、息子が見えなかった、
ということでした。


卒業まであと4ヶ月。
何とか乗り切って欲しいです。

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学芸会で

先日、息子の学芸会がありました。

今時の小学校は、劇団四季のミュージカルを
演目として選んだりします。
息子の学年は、「夢から醒めた夢」を演じました。
私の時代は、学校用に書かれた脚本集ってものがあって、
その中から先生が選ぶって感じだったけどねぇ。

息子の小学校生活最後の学芸会、
なにしろミュージカルなもんで、歌うは踊るわ、
小学生、やるじゃん!!って出来でした。
もちろん息子は踊れるはずもなく、
踊りも独唱もない役を選んでいたけどね。

まぁ、当然主役は一人なんだけど、そこは学校。
主役の女の子が6人もいて、交代して出てくる。
衣装は基本的に個人で揃えることになっているので、
この役の人はピンクのスカート、とか指定があり、
それを各自で用意することになっているから、
みんな微妙に衣装が違うわけです。

息子の役に必要な衣装は
白いハイネックのシャツ、黒いロングコートと手袋と靴。
突然言われても、そんな子供のロングコートなんて無いよ!!
・・・と思ったんだけど、
ふと、私が持っていた黒いコートを思い出して着せてみると、
着れてしまった。
いつの間にか洋服の貸し借りが出来るまでに
成長してました。

しかもその黒いロングコート、
実は私の母が、50年以上前に着ていたもので、
独身時代の私が貰って着ていたもの。
親子3世代に渡って着られるって、すごいよね。

母の独身時代は、まだ既製服が一般じゃない時代。
だから生地を買って、それを仕立ててもらっていたんだけど、
生地の傷みもなく、ほつれもなく、
まだまだ超現役で、私も数年前まで着ていたの。
今回、マジマジとコートを見てみたけど、
縫い目が丁寧で、すごく良い品だって改めて思った。
これを縫って下さった方は、もうご存命じゃないだろうけど、
すごいよな、って本当に思いました。
朝の連続ドラマのカーネーションみたい~。

ちなみに白いハイネックシャツも私のもの、
黒い靴も私の黒いスニーカーでした。
ま、まだちょっと大きかったけど、
こんなことで成長を感じるようになるなんて思いもせず。
それは私の息子だけに限らず、
1年生のときにはビービーよく泣いていた子が、
堂々とソロを歌ったり、
みんなの成長を感心するやらビックリするやら、
という学芸会でした。

この学芸会をもって、6年生の行事は終了。
あとは卒業式のみとなりました。
そしてみんな、受験に突入~!!
息子の受験も、あと2ヶ月を切りました。
なんだか気ぜわしいです。
受験生の母って、こんな気分なのね(汗)

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12歳

今日は息子の12回目の誕生日。
もう12歳かぁ、と、一人シミジミとしております。

10歳の誕生日のときに、
子育てが半分終わったんだなぁ、と思ったけれど、
こうやって毎年毎年、終わりが近づくのが、
嬉しいような寂しいような・・・
いろいろ考えてしまいます。

12年前の9月、
突然の前期破水で絶対安静の入院生活。
1分でも1秒でも長くお腹に入れておきたかったのに、
羊水に血が混じってしまい、お産という流れに。
陣痛もさほどなく、余裕で過ごしていたら、
突然、子宮口に何かがコツンと当たり、その途端に、
いきなり頭が下りてきてしまい、私はパニックに。
急いでナースコールをして、すぐ分娩室に運ばれて、
分娩台に乗る頃には、頭が出てしまっていて・・・
そして台に乗せられてすぐ、息子は生まれてきた。

生まれてから、しばらく誰も何も言わなかった。
羊水を吸引する音だけが、分娩室に響いてた。
そのとき、か弱いながら、息子は1回だけ泣いた。
それが、すごくすごく嬉しかった。

NICUに運ばれる前に、小児科の先生が
タオルに包まれた息子の顔を見せてくれた。
息子は左目だけを開けて、私の顔を見てくれた。
そしてそのまま保育器へ入れられて、分娩室を出て行った。

私はそのあと胎盤が出なくて、
助産師さんが、手で胎盤を剥がすという
強烈な痛みを経験し、
(正直言って、お産より痛い)
産後2時間、分娩台で寝たあと、
看護師さんが体を拭いて下さっているときに、
大量出血。

おへその下に子宮の出血を止めるツボがあるらしく、
そこを1ヶ月以上寝たきりで、腹筋がなくなったお腹を
渾身の力で押されると、それが痛くて痛くて(涙)
それが何時間も何時間も続き、
出血多量で意識を失いかけると往復ビンタが飛んできて(マジ)
また痛い思いをするの繰り返し。
あまりの痛さに「麻酔して」と頼んでみたけれど、
「意識レベルが分からなくなるから」と却下され・・・

そして時間の経過と共に、分娩室に人が増えてきて、
私は気を失いつつも、なぜだか耳だけは聞こえていて、
私の隣で血圧を測っていた看護師さんが
「先生!!上60です!!」と叫ぶ声を聞き、
それってヤバくない?って思ったっけ。

「お腹の上から、子宮に向けて注射をします」とか
「もう両腕から血管取れないから、足から取ろう」とか
そんな言葉が聞こえるたびに、「やめて~」と言ったような
気がするけど、もう話は出来てなかったかもしれない。

何時間が経過したのか分からないけど、
ふっと目を覚ましたら、目の前に病院で一番偉い先生が見えて、
思わず先生の手をつかんで
「麻酔してください」とお願いしたら、
「そうだね、麻酔しよう」と言ってもらえて、
そのまま意識が完全になくなった。

そして何時間経ったのか分からないけど
「お部屋に帰ろうね」という声で目を覚まし、
看護師さんの隣にいる夫の顔を見たら、顔面蒼白で、
開口一番「死んじゃうかと思ったよ」と言われ、
時間を聞くと、お産から13時間が経過していてビックリ。
そして自分の両手を見ると、見たこと無いくらい
指が強烈にむくんでる。
お産の直前に、夫に結婚指輪を預けていたんだけど、
その指輪が小指の第一関節までしか入らないくらいになってた。
聞けば、輸液量が多すぎて、体中がむくんでいるとのこと。
よく見ると、私のベッドのまわりには輸液ポンプが5個あって、
点滴バッグが8個ぶらさがってた。
そのうちひとつが真っ赤で、輸血されたことを知った。

成人女性の全血液量は6~7リットルで、
1.5リットル出血すると、ショック死してもおかしくないらしい。
そして私はお産からトータルで3.7リットル出血していた。
道理で旦那だけでなく、お産に立ち会ってくれた助産師さんが、
「死んじゃうかと思ったぁ~」と枕元で泣いてくれたわけだ。
翌日、お産のときの先生に
「私は長く産婦人科医をしてますが、こんなに出血したのは
初めてでした」と言われたり。
もともと私はお産がハイリスクだったのだけど、
まさか命がけになるとは思わず・・・

私の体は、生命を維持するのが精一杯で、
産後5日経つまで、まったく胸が張らなかった。
その間、息子は2日前に生まれた子のお母さんから
母乳を分けて頂いていたらしい。
これは、仕方のないこととはいえ、ちょっとショックだったな。

産後5日目の夜、初めて息子に会った。
生まれたときよりも、ひと回り小さくなっていて、
しかも光線療法で、体が黒くなっていて、
糸みたいに細い点滴をされて、それを板で固定され、
その姿が痛々しくて、泣き崩れたっけ。
私は頑張ったけど、もっともっと頑張れたかもしれない。
そうしたら、こんな姿にさせることは無かったかもしれない。
申し訳なくて、申し訳なくて・・・

あれから12年。
息子は、その日々が夢だったかのように大きくなった。
年月って、あっという間。
あと8年で成年しちゃうなんて!

息子は最近、少し声が低くなった。
ニキビが出来てきた。
着々と、大人になってるんだなぁ。

来年の誕生日は、もしかしたら反抗期かな。
手作りケーキなんて作れるのは、今年が最後だったのかも。
いつまで手をつないでくれるのかな。
いつまで抱っこさせてくれるのかな。

そんなことを思いながら過ごした誕生日でした。

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大阪から戻って

8月23日深夜に、やっと東京に戻りました。

今回の入院で、息子の膝は期待したほどは改善されず、
もっともっと自分のテクニックを磨きたい!!と思いました。

しかし・・・
息子は今、小学校6年生。
私と二人で入院するのには限界を感じました。
息子本人が意識してなくても、
日々、大人になっていく息子を見ている母の私は、
いろいろ心理的に複雑です・・・
あと1~2年もしたら、一緒に大阪の病院の外来のために、
ホテルに二人で泊まるのも難しいのかな、なんて・・・

ボイタをやって7年目だけれど、まだまだ分からないことがある。
だけど外来だけでは、私のテクニックが向上しないのは事実。
自分のテクニック向上のために、
あと1回、駄目押しの親子入院が必要なのかもしれないなぁ。

今回の入院で、前よりボイタの反応が出せるようになったけど、
ホント、もう少しなんだよな~!!
息子にボイタ中の私の手を、先生がほんの数ミリ移動させただけで、
反応がグワッと出たりする。
先生が息子の出発肢位を少し変えるだけでも同様。
前回の親子の時からずっとそうで、
今までに3人のPTの先生から同じことを言われているのに、
今回もそのポイントが掴めずじまい・・・

家に帰ってから、息子にボイタをしてみたけど、
やっぱり、もう少しなんだよねぇ。
朝なんて時間が限られているから、
納得いくまで訓練は出来ないし・・・
くやしい。

次の外来は正月明け。
今回の入院中に、腰から足首まである夜間装具を作り、
寝ている最中に膝を伸ばすことに。
膝は、強い力で短時間に伸ばすより、
弱い力で長時間伸ばしたほうが効果が出るのだとか。
これでボイタの回数が少ない分を補えることを期待。

そして、ここからは愚痴。
4週間以上、自宅を空けていたわけで、
帰ったときに私の機嫌が悪くなるから、
旦那が掃除をしてくれているのは感謝する。
だけどさ~、なんでガスコンロが壊れてるのよ?
なんで洗濯用の角ハンガーの洗濯ばさみが
いくつもいくつも無くなってるのよ?
なんで頼んでおいた植木が3つも枯れてるのよ?
洗濯用の柔軟材が無くなったからって、
なぜ詰め替えを探さずに、ボトルに水を入れるのよ?
なんで空き缶を1ヶ月も捨ててないのよ?
・・・という事後処理のため、帰京してからの1週間が大変でした。
だもんで、なかなか生活リズムが戻りません~(涙)

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6回目の親子入院

明日7月25日に親子入院するため、
前日の今日、大阪入りしました。
今回、車を買い換えての移動だったのですが、
やっぱり軽自動車よりも、普通車のほうが長距離は楽ですね~。

そんなわけで、今夜は病院そばのホテルに滞在です。
滞在ホテルについて、いろんな人に聞かれることが多いので、
ここにメリット・デメリットを説明しながら書き込みます。

今回の滞在は、ダイワロイネットホテル大阪上本町です。
http://www.daiwaroynet.jp/osaka-uehonmachi/index.html
ここから病院は歩いて15分くらいでしょうか。
昨年オープンしたばかりで、きれいです。
ここには大浴場はなく、ユニットバスですが、
私がこのホテルに、お風呂で使える椅子の用意を頼んだので、
チェックインの際、いつもフロントで椅子をお借りしています。
車椅子用駐車場もあり、無料で停めさせてもらえます。
駐車場は予約出来ず、先着順ですが。
部屋には空気清浄機と加湿器が一緒になったものがあり、
ベッドはダブルで、子供が小さいうちは充分だと思います。
うちは小学生の息子とですが、まだ大丈夫です。
これで二人で7800円。
そしてこのホテルには、ユニバーサルルームもあります。
その部屋は二人で12000円なので、息子が中学生になったら、と思っています。
ホテルの1階には、やよい軒があり、雨が降っても大丈夫。
朝食は一人分500円。
使い勝手が良いホテルだと思いますが、
3人で泊まれる部屋がありません。
どうしても、というときには、ダブルとシングルを取る必要があります。

他には、ホテルアウィーナ大阪があります。
http://www.awina-osaka.com/stay/reservation.html
このホテルが一番病院に近いです。
ここは和室6畳の部屋があり、ハイハイする子に便利です。
3人で宿泊のときには、8畳の和室もあります。
和室の部屋にはお風呂がなく、トイレと洗面所だけ。
部屋の玄関に車椅子が置けなくて、困った覚えがあります。
そして男女別の大浴場がありますが、
そこへ行くまで階段があります・・・・
うちは、息子がもう6年生で、女風呂に入れるのは
やっぱり申し訳ないし、階段も大変なので、
もう泊まることはないと思いますが・・・。
ここはチェックインの際、加湿器をお願いすれば貸してくれます。
朝食は1階のレストランで、バイキング形式のものでした。
大人が1000円、子供が800円だったかな???

あとは、シェラトン都ホテル大阪があります。
http://www.miyakohotels.ne.jp/osaka/
私は泊まったことがないので、詳しいことは分からないのですが、
飛行機で大阪入りする場合、空港から上本町までのバスがあり、
ホテルが発着場所になってるようで、便利と聞いたことがあります。
ここから病院まで歩くと、20分くらいかな??

あとは、病院から少し離れますが、
スーパーホテル天王寺があります。
http://www.superhotel.co.jp/s_hotels/tennouji/tennouji.html
ここの大浴場は男女入換制で、天然温泉なのが売りです。
病院からタクシーで1000円くらい。
通天閣にも近く、ここに宿泊する際の夕飯は、いつも串カツ。
あと、ここのホテルは朝食つきなんですよね~。
(タダで付いていると思えば納得、という朝食ですが)
そして部屋が狭く、暗いです。
だけど3人で泊まれる部屋があるので、
夫が一緒のときには、ここを利用しています。
3人で1万円くらいで済むので、安上がりだしね~。
スーパーホテルは大阪に何店舗かありますが、
ここが一番病院までタクシーで行きやすいかな、と思います。

あとは、私は行ったことがありませんが、
ホテル ライブアーテックスというところがあります。
http://www.live-artex.co.jp/stay.html
ここは部屋やお風呂がすごく広く、
洋室のほかに和室もあるようです。
病院まで歩いて25分くらいになるのかな??


病院のそばのホテル、私が知っているのはこれくらいです。
もし大阪の病院に来られる際には参考にしてくださいね。

明日から4週間。息子の体が劇的に変わるといいなぁ。
今回は、スマホとパソコンをつないでネットが可能なので、
今までよりも格段にストレスが減るかも。
頑張ってきますね~!!


☆☆追記 平成23年9月 ☆☆

鶴橋駅のそばに、もうひとつホテルがありました。
東横INN 大阪鶴橋駅前
http://www.toyoko-inn.com/hotel/00237/index.html
ここにはハートフルルームという部屋があるようで、
次回の大阪のときに泊まることにしました。
http://www.toyoko-inn.com/bfree.html
なかなか便利そうかな??

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日本英語検定の障害者特別措置

先日、息子に英検5級を受けさせてみました。

受ける前にネックになっていたことは、
息子は手にも軽い麻痺があって、細かい作業が難しいので、
マークシートの記入が時間をかけないと出来ないことでした。

英検のホームページを調べてみると、
障害者には特別措置を講じてくれるようで、
そのページには、5級は準会場でしか措置しないと
書かれていましたが、電話で交渉してみることにしました。
http://www.eiken.or.jp/apply/measure.html

準会場とは、自分の学校などで人数を集めて
試験を行うものなんだけど、
息子は公立の小学校に通っていて無理だし、
英検が用意する本会場で、措置してもらえないかと交渉しました。

交渉内容は
①細かい作業が苦手なので、
 マークシートへの書き込みに時間がかかるから、
 問題用紙に直接回答させてもらえないか、ということ。
 そうしてもらえれば、時間の延長は不要であること。
②車椅子なので、エレベーター等、
 移動に不便がない会場にして欲しい。
③使用する椅子や机は、備え付けのもので大丈夫だけど、
 そこへ行くまで、介助者の付き添いを認めて欲しい。
④試験の最中、介助者が廊下で待機するのを認めて欲しい。
 (これは万が一、強い地震があったときのため)

以上4点。

英検側は、この希望すべてを叶えてくださいました。

試験当日、会場へ着くと、すぐ係の方が案内してくださり、
試験の教室の席へ着いたら、
息子へ持ち帰り用の問題用紙と、
回答用の問題用紙の2部を渡して下さって、
試験開始直前、他の父兄は待機部屋へと案内されましたが、
私には廊下に椅子を用意してくださいました。

言ってみるもんですね~。
しっかり「5級の措置は準会場のみ」って書かれてるのに。
本当に有難かったです。

障害者自身が声をあげること、って必要なんですよね。
私は何年も前、まだ息子の訓練病院にバスで通っていた頃、
病院そばのバス停にある、誰かが持ってきたような椅子に
息子を座らせて、ベビーカーをたたんだりしていました。
なのにある日、その椅子がひとつも無くなっていて、
困り果てました。
それで、そのバスを運行している会社に電話して、
身体障害の子供が通う病院のそばのバス停なのに、
どうして椅子が備え付けられてないのか、と言いました。
電話に出た女性は、今年度の予算は決まっていて、
今すぐ付けることは出来ないけど、来年は必ず、と言ってくれました。
だけど数日後、その人から電話がかかってきて、
倉庫を探したら、余っている椅子があったので、
すぐに設置します、と言ってくれて、
実際、すぐに設置してもらったことがあります。

今でもそのバス停には、あのときの椅子があって、
そこに座っている親子連れを見ると、
電話して良かった、と思います。

私の知人男性は、20年以上前、ボランティアで車椅子を介助中、
某大手百貨店に行ったとき、入り口に階段しかなく、
店員さんに手伝って欲しい、とお願いしたら、
荷物運搬用のエレベーターを案内され、頭にきて
「このデパートは、障害者を荷物扱いするのか!!」と
まわりに聞こえるように大声で言ってやったそうです。
今、これをやったら営業妨害になってしまうのでマズイですが、
その百貨店、翌月にはスロープを設置し、
数あるエレベーターのひとつを障害者優先にしました。
やっぱり声をあげるのは、大事なことですよね。

だけど、何もかもやってもらうのは・・・

ある男性が、自分の経営するアパートに車椅子の人が
入居したいと言ってきた。だけど、入居にあたって、
ハートビル法を盾に(今現在はバリアフリー新法)
エレベーターかスロープのどちらかを設置するように言ってきた。
そんなことをしてまで入居して欲しくない、という大家さんの意見。
どう思いますか?

まあこの要求をした車椅子の方は、ハートビル法を
ちょっと誤解している部分もありますが、
私は、この要求は「やりすぎ」だと思うんです。
賃貸住宅は、いくらでもあるはずであり、
まず自分の暮らしやすい設備の整った物件を
探すべきだと思います。
障害者だから、やってもらって当たり前、というのは、
私は間違っていると思うし、
私は息子にも、そこは厳しく教えています。

見知らぬ人に介助してもらったら、
すみません、ではなく、ありがとう、と言いなさいと教えています。
日本語は曖昧で、すみません、という言葉が、
ありがとう、に化けたりしますが、
すみません、という言葉には、
迷惑をかけてすみません、って意味が含まれます。
本当に迷惑をかけたなら別ですが、
ちょっとしたこと、例えば誰かが入り口の扉を開けて
待っていてくださったとか、そういうときには、
必ず「ありがとうございます」と言え!と教えています。
やってもらって当然、という障害者にだけは
なって欲しくないと思っています。

だから、今回の英検にしても、息子に何度も
「ありがとうございます」と言わせました。
ありがとう、の言葉で怒る人はいないし、
それでお互いに気分良くいられるほうがいいですもんね。

そして数日前、息子に合格通知が送られてきました!
思っていたよりも合格ラインが低くて、ちょっとオドロキ。
次は4級・・・いつになるかな???

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中学に向けて

息子は今、小学6年生。
年末に、国立の支援学校の受験をする予定です。

来年、小学生や中学生になる障害児は
就学相談を受けなくちゃいけないのだけど、
うちは受験の結果が出てから、相談の予約をしようと思ってました。

なのに、小学校の校長から
「予算の関係があるから、どこに進学するにしろ、
早めに就学相談に行ってください」と言われてしまいました。
ということで、7月はじめに就学相談に行くことにしました。

ああ、もう、そんな歳になったんだなぁ・・・

思えば6年前、理論武装して就学相談に臨んだっけ。
今回は、そんな必要ないのかな~、なんてノンビリしてると
コテンパンにやられちゃうのかもしれないけど。

さて、先日は小学校最後の運動会がありました。
息子の学校は、伝統的に6年生は組体操と決まっていて、
毎年、6年生の組体操を見ては、
息子には難しいかな・・・と思ってきました。

毎年、運動会の練習は、張り付くように見に行って、
出来ないものは、家で練習させたりしてきたけれど、
今回は多分、もうどうやっても参加は出来ないだろうし、
一人でポツンと寂しそうに見学している息子を
見たくないのもあって、全然行ってませんでした。

だけど、組体操の練習見学に行ったママ友が
寂しそうにしている私の息子を見かねて、
担任の先生に、こうやって参加できるんじゃないか、と
直談判して下さいました。
そのママ友の上の子は、息子と同じく脳性マヒで、
ひとりで長くは立っていられないけど、
こういう風に参加させてもらった、と細かく担任に説明してくださって、
運動会の3日前に、急遽、息子の参加が決まりました。

なのに私は最初から諦めて、見学にも行かず、
担任に交渉することすらせず、
ただ自分が、寂しそうな息子を見たくないから、と、
運動会本番の組体操すら、見るのをやめようとさえ思ってました。
そんな私の気持ちを分かってくれた上で、
私の代わりに交渉してくれたママ友に、
感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。

おかげで息子は、すべての組体操というわけにはいかないけど、
土台が4人のピラミッドのオマケとして土台になったり、
(要するに、誰も背中に乗ることはない)
体の大きな同級生の、背中側から肩に手をかけて、
足を先生に持ってもらって体を伸ばす技も出来て、
すごく感動的な組体操になりました。

本当に嬉しかったのは、その交渉してくれた友人もそうですが、
同級生の母たちが、その技を決めた息子を見て、
「良かったね」と私と一緒に泣いてくれたことです。
私も息子も、人に恵まれた・・・そう思います。

中学校になったら、もっと難しいこともあるかもしれない。
だけど、最初から諦めたらいけない・・・
何度も何度も、そう思いながら、
時々、心が折れてしまって、ということの繰り返しでした。
だけど、組体操の技を決めたときの息子の最高の笑顔。
あの笑顔のために、私はまだまだ頑張らないといけないですね。
もっともっと、強い母親にならなくちゃ!!

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